風邪で数日寝込んでいて、やっと完治しました。
親が風邪をひいても、子供の園の行事やらインフルエンザ接種…予定は待った無しです。
早く回復するため薬を飲んで横になっても、喉の痛みと鼻水と高熱で眠れず、布団の中で読書をしていました。
久しぶりにゆっくり本を読んだような気がします。
4冊ぐらい読んだのですが、その中で印象深かった1冊。
岸見一郎氏、古賀史健氏著『嫌われる勇気』
ベストセラーになった本なのですね。
amazonでカスタマーレビューが1,800以上もあって驚きました。
実は岸見一郎氏の著書は書店の育児コーナーにあった『子供をのばすアドラーの言葉』を以前に読んだことがありました。
叱ってもいけない、ほめてもいけない
という、言葉が衝撃的で印象に残っています。
実際に子育て中の身としては、子どもを叱らない、ほめないなんて、考えられません。
読後も、納得できたような納得できないような微妙な気持ちになった記憶があります。
そこで、今回の『嫌われる勇気』も、読む前は「人に嫌われても気にせず我が道をいけ!」的な本なのかと思ったら、全く違いました。
哲学の本です。
でも、堅苦しくありません。
哲学者と青年の対話形式なので、小説よりも読みやすいです。
『嫌われる勇気』で繰り返される定義ー原因論ではなく目的論で考えよー
親や自分を取り巻く環境への不満、コンプレックスを抱えて自分自身を好きになれず鬱々とした気持ちを抱えていきている青年が、哲人へ率直な(時にはイジワルな)質問を繰り返します。
そこで、哲人は一貫してこの言葉を繰り返します。
誰かが、始めなければならない。
他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係ない。
私の助言はこうだ。
あなたは始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
そして、今が不幸だと感じるのは過去のトラウマや出来事によるものではないと、現在の主流である考え方=原因論を完全に否定します。
例えば、虐待を受けた子供が非行に走るのは、「虐待されたという過去」に原因があるのではなく、「非行に走るということで親へ復讐を果たすという現在の目的」からきていると目的論に基づいて人間の行動を考えます。
これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。
これって、すごい発想の転換だなと思うんです。
昔こんなことがあったからとか、過去に辛いことがあって…とかそういう言い訳を全部否定しているってことですよね。
不幸自慢。
不幸であることによって、「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。
自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。
なかなか手厳しい。
わたしはあなたの過去について、なにも知りません。
ただ、わたしはひとつだけ知っています。
あなたのライフスタイル(人生のあり方)を決めたのは、他の誰でもないあなた自身であるという事実を。
もしも、あなたのライフスタイルが他者や環境によって決定されているというのなら、責任を転嫁することも可能でしょう。
しかし、われわれは自分のライフスタイルを自分で選んでいる。
責任の所在は明らかです。
不幸であることを選んでいるのも、変わりたいと思いつつ変わらないという選択をしているのも、全て自分。
不自由を感じながらも、変わらない方が楽だから。
また、人生は「線」ではなく「点」の連続であると説明します。
人生を登山や物語のような線で捉えると、原因論につながる考えるになる。
そうすると人生の大半が「途上」となってしまう。
人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。
あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようしている。
過去にどんなことがあったとかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
決めるのは、昨日でも、明日でもありません。
「いま、ここ」です
何か始めようかと考えた時、子供がいるから、疲れているから、仕事があるから、周囲が協力してくれないからと「しない」理由を探せば幾つでもみつかります。
できる可能性がありながら、「しない」理由に原因を求めて選んでいるのも自分。
世界とは他の誰かが変えてくれるものではなくて、ただ「わたし」によってしか変わりえない。
原因ばかり見つめないで、もっとシンプルに生きようと思える本でした。
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